2013年 07月 11日
陽炎 |
9日に行った展覧会。
新美術館のアンドレアス・グルスキー展に行きたいが、火曜休み。
ぬー。次回に持ち越し。
最近、といっても大学でてからまともに文章を書いていないです。
わかりやすく、踏み込んだ長文を書く訓練しないと。
修論の時期あたりからだけど、自分の立場というか視点として、「死のにおいを含んだ」作品について触れることが多いです。
まあ、美術史にのる時点、研究対象になる時点で過去のものや人、「そこかつてあった」こと、ものが対象となることが多いですしね。
修論はメイプルソープだったし。死のにおい!
ロラン・バルト読み直さなきゃ!
論文、修論の内容もほとんど忘れてきているので、インプットし直さなきゃならない時期に来ている。
9日の感想
◎フランシス・アリス展 ジブラルタ海峡編(東京都現代美術館)
第二期展。第一期のメキシコ編を逃してしまったのが悔やまれる。
見ておかなければいけない展示は、その会期中や実際に見て重要性に気づくパターンと、会期が終わってから重要性に気づく場合の二つがあると思う。
見て重要性に気づいた展示は、最近だとワタリウムであったJR展、見逃して後悔した展示は2007年のマルレーネ・デュマス展、2010年のレベッカ・ホルン展(いずれも都現美)。
衝撃的な展示であった名和晃平展が、もう2010年のことだったのに驚く。
これからの展示では吉岡徳仁展は必ず見に行かねばいけない。
作る作品、デザインする製品が好きなのはもちろん、本人の雰囲気も大好き。
フランシス・アリスに話を戻す。「川に着く前に橋を渡るな」。
スペイン(ヨーロッパ)と、トルコ(アフリカ)を隔てる海峡。狭いところで14Km。天気の良い日には対岸の岸辺が見える。
ジブラルタ海峡を、船の模型をもった子どもたちでつなごうとするプロジェクトの記録映像。
大型スクリーン2台を使った大掛かりな展示(インスタレーション)。
シートやクッションがあり、座るだけでなく、寝そべって鑑賞することもできる。
海の音。波の、荒々しく大きく響く音だけでなく、水中の音。
波の音、海の音、水中の音はなんとも魅力的。
数年前にヒーリングミュージックとして、さざ波の音のCDが流行ったよね。
もちろん、そのようなさざ波の音とは比べられないほどの音量、荒々しさだけれども。
海なし県で育ったので、海へのあこがれが強いこともあるが、この空間に思ったよりも長くいた。
水中の音。子どものことは毎年聞いていた音ではないだろうか。
学校のプール、海水浴、水の中に潜る経験は多々あったが、もう数年もそんな経験はない。
子どもしか登場しない映像(しかも数十人)と、海の音を聞いていて思った。
スペインの子どもたちは足が長いね。
◎収蔵品展
実はこっちの方が見たくて行ったようなもの。
第一部は関東大震災から今年で90年。戦争、復興、繁栄…。東京という年の記憶にフォーカス。
第二部は、(こちらを見に行った)、夏休みにあわせた現代美術の入門編として、作品を通した「他者」との出会いを、いくつもの「旅」として紹介。子どもたちに親しみやすい夏休み企画として、第二部は子どもむけの解説ボードが掲示され、全体的に低めの展示。
chim↑pom《Thank you celeb project ― I'm BOKAN》。バカバカしくも、全然ばかばかしくないプロジェクト。お騒がせ若者集団のイメージの強いチンポムだけれど、強烈な社会メッセージを持った作品。
「セレブ→慈善事業→地雷除去」という安易ともいえる発想からスタートしたプロジェクト。私物を撤去した地雷で爆破、それをオークションにかけチャリティーにするというもの。
最初にある、エリィのスピーチ(?)ビデオが印象的。メンバー二人とカンボジア現地の人をバックに、エリィによるプロジェクトの説明。
大げさに芝居がかったしゃべり方やポーズが滑稽だけれど、扱っているテーマの深刻さがちょろちょろ垣間見える。
…だけど、思わず吹き出してしまう映像。面白いね。
最初はエリィのしゃべり方に笑っていたけど、カンボジアの人たちの表情や楽しそうなしぐさに笑えてくる。
地雷の被害だろうか、エリィの隣には右腕のひじから下がない男の人がいるけれども、一緒に笑っている表情に驚く。
日本でのチャリティ・オークションの様子の映像も。司会はいとうせいこう?
映像の中の会場は部屋いっぱいに立ち見が出るほどの熱気。
正木隆さんの作品。
いままで本などで見たことはあったけれど、実物を見るのは初めて。
突き抜ける黒色さ。簡略化された、団地のような形態。吸い込まれそうな印象。そして吸い込まれたら出てこれないような印象も。
と、書いていて気付いたが、黒というか深い深い濃い青(紺)とのこと。
実物を見たいみたいと思い何度本やネットの画像を見ていただろうか。
不意に会えた感動ばかり先行していて、まったくもって絵のデティールを観察していなかった…。
絵と対峙した時にやってくる、物悲しさ、不思議な寂しさ。
絵のトーン自体が落ち着いているといこともあるが、正木さんが(1971-2004)と夭折されていることを知っているからだろうか。
短い生涯だけれども、しかるべき場所に作品が収蔵され、展示されていくことはきっと良い事なのだろう。
その寂しさを一層引き立てていたのが、今回同じスペースにあった作品たち。
加藤泉(1969-)、加藤美佳(1975-)、泉太郎(1976-)、田代裕基(1982-)と、同世代、比較的若い世代の作品と一緒にあり、泉太郎の映像がギャグちっくなものだということ(ギャグというと怒られかねないよね)。
泉さんの動物の鳴き声真似が響きわたる空間で、正木さんの絵をただぼーっと見るのも面白い経験かもね。
田代さんの木彫は、衝撃的な出会い。もっと見たい。
最後の部屋、みっちり肖像画を集めた展示は衝撃的なインパクト。奈良さんやアレックス・カッツ!
好きな作品が多いぞ。
所蔵品の中の肖像画の展示だが、岸田劉生や梅原隆三郎といった近代の、いわゆる巨匠の作品を多く所蔵していることに驚いた。
中でも、宮本三郎の《女優》が印象的。
華やかな色使い。じっと鑑賞者を見る目る眼の力。女優の力強い佇まい、生きてきた証を映しとるよう。
◎Rainbow No Nukes ボクらのセカイには、原子力発電所もホモフォビアも、いらない。
ランプ坂ギャラリー ギャラリーランプ3(新宿)

http://beardbears.com/RNN/index.html
知り合いの方が企画している展覧会。まさに『今』を切り取った展覧会です。
なんとなく過ごしている毎日、なにをするわけでもなくとも毎日は過ぎていくけれど、それだけではない。
今を生き、未来に向かうことのできる毎日をつくるための、そんな展示です。
とくに印象に残ったのが、石本恵美さんの映像作品。
ふつうって何。つねにぶち当たる「ふつう」という壁。
それは常識と言えるものかもしれないけれど、その常識さえも、立場が違えばふつうではないものになる。
日常的に使う言葉である「ふつう」は、とても鋭く、心をえぐっていく言葉。
自分でもよく使い言葉なだけに、意識すらしない使い方が怖い。
「ふつう」という壁を壊す、「ふつう」なんて意識すらしなくなる毎日を過ごすことを目指す。
ふつうなんて、大多数か少数かの問題?
マジョリティにとって経験のない事、自身に関係のないことは「ふつう」ではないこととなるのだろうか。
マジョリティとマイノリティの立場が逆転したら、そのふつうも逆転していくものだろうか。
まったくマジョリティの世界だけで暮らすことなどできなく、どこかでそうじゃない、自分と異なる立場のグループと関係がつながっているはず。
そのつながりを意識するかどうかでふつうも変わっていくんじゃないかあ、と思う。
便利な言葉で、日常使う言葉なだけにむずかしい。
主人公の女の子の演技が非常にうまい。
ナチュラル。その時その時の生活を切り取ったよう。
感情移入がしやすく、すっと映像の世界の中に入っていけた。
たぶん、演技どうのこうのじゃなくて、主役の人のもつもともとの印象も大きいと思うが。
比べるわけじゃないけど、出てるく男の子の演技の「お芝居」という感じさ。
こういう日常系の映像だと、演技がかりすぎて違和感も。あるかもしれないけど、この作品の場合は内容のよさを引き立てているような印象もする。
「セリフです」「いわされてます」というようにも取れてしまう演技。
だけどふつうや立場の違いを強調する内容なため、「ふつう」ということを意識せず使っている男の子たちがこの映像だと他者側。
嘘くさい表情や声のトーンで「ふつう」について話しているため、口からでる「ふつう」自体も嘘くさい、内容のない言葉に聞こえてくる。
そして、マジョリティが使う「ふつう」自体が空っぽで嘘くさく、マジョリティ側だから「ふつう」を使い、マジョリティとしての共通認識、連帯である「ふつう」すら嘘のことのように聞こえてきた。
ハスラー・アキラさん。プリントの言葉に感動。
自分の跡になにも残らない、残せないかもしれないという恐ろしさ。
ふつうに暮らしていてもいつ死ぬかもしれない。(ふつうってつかっちゃた☆)
次の世代になにをつなげていくか。
最近読んだ草間彌生の本で、彌生さまも何をどう残すかについて話していたのでデジャブ。
そして、ミルククラウンの写真のきれいさ。
ジーンと、おなじように心の中に、衝撃とともに広がっていく。
ランプ坂ギャラリー ギャラリーランプ3
〒160-0004 東京都新宿区四谷 4-20
で7/15までやってます(木曜休み)ので、どうぞ。(詳しくはHPを)
ギャラリーでの展示なので、それほど作品数は多くはないけど、あとに響く、頭を使う、考える内容です。
オープニングのパフォーマンス、ライブに行けなかったことが悔やまれる。
とくに七尾旅人さんのライブ…。
6日って国立競技場の日だったしね(自分は行った組ではないが)
ハスラー・アキラさんもパフォーマンス組の方だと勝手に思っていたので、作品がみれてよかった。
あと、この日に行ったのは
◎江戸の美男子(太田記念美術館)

ハラジュクの真ん中に浮世絵の美術館…!
海外のお客さんおおくて、驚く。
◎宮永愛子展(ミヅマアートギャラリー)
静かな、白い空間。
じっくりと時間の流れと対峙。
新美術館のアンドレアス・グルスキー展に行きたいが、火曜休み。
ぬー。次回に持ち越し。
最近、といっても大学でてからまともに文章を書いていないです。
わかりやすく、踏み込んだ長文を書く訓練しないと。
修論の時期あたりからだけど、自分の立場というか視点として、「死のにおいを含んだ」作品について触れることが多いです。
まあ、美術史にのる時点、研究対象になる時点で過去のものや人、「そこかつてあった」こと、ものが対象となることが多いですしね。
修論はメイプルソープだったし。死のにおい!
ロラン・バルト読み直さなきゃ!
論文、修論の内容もほとんど忘れてきているので、インプットし直さなきゃならない時期に来ている。
9日の感想
◎フランシス・アリス展 ジブラルタ海峡編(東京都現代美術館)
第二期展。第一期のメキシコ編を逃してしまったのが悔やまれる。
見ておかなければいけない展示は、その会期中や実際に見て重要性に気づくパターンと、会期が終わってから重要性に気づく場合の二つがあると思う。
見て重要性に気づいた展示は、最近だとワタリウムであったJR展、見逃して後悔した展示は2007年のマルレーネ・デュマス展、2010年のレベッカ・ホルン展(いずれも都現美)。
衝撃的な展示であった名和晃平展が、もう2010年のことだったのに驚く。
これからの展示では吉岡徳仁展は必ず見に行かねばいけない。
作る作品、デザインする製品が好きなのはもちろん、本人の雰囲気も大好き。
フランシス・アリスに話を戻す。「川に着く前に橋を渡るな」。
スペイン(ヨーロッパ)と、トルコ(アフリカ)を隔てる海峡。狭いところで14Km。天気の良い日には対岸の岸辺が見える。
ジブラルタ海峡を、船の模型をもった子どもたちでつなごうとするプロジェクトの記録映像。
大型スクリーン2台を使った大掛かりな展示(インスタレーション)。
シートやクッションがあり、座るだけでなく、寝そべって鑑賞することもできる。
海の音。波の、荒々しく大きく響く音だけでなく、水中の音。
波の音、海の音、水中の音はなんとも魅力的。
数年前にヒーリングミュージックとして、さざ波の音のCDが流行ったよね。
もちろん、そのようなさざ波の音とは比べられないほどの音量、荒々しさだけれども。
海なし県で育ったので、海へのあこがれが強いこともあるが、この空間に思ったよりも長くいた。
水中の音。子どものことは毎年聞いていた音ではないだろうか。
学校のプール、海水浴、水の中に潜る経験は多々あったが、もう数年もそんな経験はない。
子どもしか登場しない映像(しかも数十人)と、海の音を聞いていて思った。
スペインの子どもたちは足が長いね。
◎収蔵品展
実はこっちの方が見たくて行ったようなもの。
第一部は関東大震災から今年で90年。戦争、復興、繁栄…。東京という年の記憶にフォーカス。
第二部は、(こちらを見に行った)、夏休みにあわせた現代美術の入門編として、作品を通した「他者」との出会いを、いくつもの「旅」として紹介。子どもたちに親しみやすい夏休み企画として、第二部は子どもむけの解説ボードが掲示され、全体的に低めの展示。
chim↑pom《Thank you celeb project ― I'm BOKAN》。バカバカしくも、全然ばかばかしくないプロジェクト。お騒がせ若者集団のイメージの強いチンポムだけれど、強烈な社会メッセージを持った作品。
「セレブ→慈善事業→地雷除去」という安易ともいえる発想からスタートしたプロジェクト。私物を撤去した地雷で爆破、それをオークションにかけチャリティーにするというもの。
最初にある、エリィのスピーチ(?)ビデオが印象的。メンバー二人とカンボジア現地の人をバックに、エリィによるプロジェクトの説明。
大げさに芝居がかったしゃべり方やポーズが滑稽だけれど、扱っているテーマの深刻さがちょろちょろ垣間見える。
…だけど、思わず吹き出してしまう映像。面白いね。
最初はエリィのしゃべり方に笑っていたけど、カンボジアの人たちの表情や楽しそうなしぐさに笑えてくる。
地雷の被害だろうか、エリィの隣には右腕のひじから下がない男の人がいるけれども、一緒に笑っている表情に驚く。
日本でのチャリティ・オークションの様子の映像も。司会はいとうせいこう?
映像の中の会場は部屋いっぱいに立ち見が出るほどの熱気。
正木隆さんの作品。
いままで本などで見たことはあったけれど、実物を見るのは初めて。
突き抜ける黒色さ。簡略化された、団地のような形態。吸い込まれそうな印象。そして吸い込まれたら出てこれないような印象も。
と、書いていて気付いたが、黒というか深い深い濃い青(紺)とのこと。
実物を見たいみたいと思い何度本やネットの画像を見ていただろうか。
不意に会えた感動ばかり先行していて、まったくもって絵のデティールを観察していなかった…。
絵と対峙した時にやってくる、物悲しさ、不思議な寂しさ。
絵のトーン自体が落ち着いているといこともあるが、正木さんが(1971-2004)と夭折されていることを知っているからだろうか。
短い生涯だけれども、しかるべき場所に作品が収蔵され、展示されていくことはきっと良い事なのだろう。
その寂しさを一層引き立てていたのが、今回同じスペースにあった作品たち。
加藤泉(1969-)、加藤美佳(1975-)、泉太郎(1976-)、田代裕基(1982-)と、同世代、比較的若い世代の作品と一緒にあり、泉太郎の映像がギャグちっくなものだということ(ギャグというと怒られかねないよね)。
泉さんの動物の鳴き声真似が響きわたる空間で、正木さんの絵をただぼーっと見るのも面白い経験かもね。
田代さんの木彫は、衝撃的な出会い。もっと見たい。
最後の部屋、みっちり肖像画を集めた展示は衝撃的なインパクト。奈良さんやアレックス・カッツ!
好きな作品が多いぞ。
所蔵品の中の肖像画の展示だが、岸田劉生や梅原隆三郎といった近代の、いわゆる巨匠の作品を多く所蔵していることに驚いた。
中でも、宮本三郎の《女優》が印象的。
華やかな色使い。じっと鑑賞者を見る目る眼の力。女優の力強い佇まい、生きてきた証を映しとるよう。
◎Rainbow No Nukes ボクらのセカイには、原子力発電所もホモフォビアも、いらない。
ランプ坂ギャラリー ギャラリーランプ3(新宿)

http://beardbears.com/RNN/index.html
知り合いの方が企画している展覧会。まさに『今』を切り取った展覧会です。
なんとなく過ごしている毎日、なにをするわけでもなくとも毎日は過ぎていくけれど、それだけではない。
今を生き、未来に向かうことのできる毎日をつくるための、そんな展示です。
とくに印象に残ったのが、石本恵美さんの映像作品。
ふつうって何。つねにぶち当たる「ふつう」という壁。
それは常識と言えるものかもしれないけれど、その常識さえも、立場が違えばふつうではないものになる。
日常的に使う言葉である「ふつう」は、とても鋭く、心をえぐっていく言葉。
自分でもよく使い言葉なだけに、意識すらしない使い方が怖い。
「ふつう」という壁を壊す、「ふつう」なんて意識すらしなくなる毎日を過ごすことを目指す。
ふつうなんて、大多数か少数かの問題?
マジョリティにとって経験のない事、自身に関係のないことは「ふつう」ではないこととなるのだろうか。
マジョリティとマイノリティの立場が逆転したら、そのふつうも逆転していくものだろうか。
まったくマジョリティの世界だけで暮らすことなどできなく、どこかでそうじゃない、自分と異なる立場のグループと関係がつながっているはず。
そのつながりを意識するかどうかでふつうも変わっていくんじゃないかあ、と思う。
便利な言葉で、日常使う言葉なだけにむずかしい。
主人公の女の子の演技が非常にうまい。
ナチュラル。その時その時の生活を切り取ったよう。
感情移入がしやすく、すっと映像の世界の中に入っていけた。
たぶん、演技どうのこうのじゃなくて、主役の人のもつもともとの印象も大きいと思うが。
比べるわけじゃないけど、出てるく男の子の演技の「お芝居」という感じさ。
こういう日常系の映像だと、演技がかりすぎて違和感も。あるかもしれないけど、この作品の場合は内容のよさを引き立てているような印象もする。
「セリフです」「いわされてます」というようにも取れてしまう演技。
だけどふつうや立場の違いを強調する内容なため、「ふつう」ということを意識せず使っている男の子たちがこの映像だと他者側。
嘘くさい表情や声のトーンで「ふつう」について話しているため、口からでる「ふつう」自体も嘘くさい、内容のない言葉に聞こえてくる。
そして、マジョリティが使う「ふつう」自体が空っぽで嘘くさく、マジョリティ側だから「ふつう」を使い、マジョリティとしての共通認識、連帯である「ふつう」すら嘘のことのように聞こえてきた。
ハスラー・アキラさん。プリントの言葉に感動。
自分の跡になにも残らない、残せないかもしれないという恐ろしさ。
ふつうに暮らしていてもいつ死ぬかもしれない。(ふつうってつかっちゃた☆)
次の世代になにをつなげていくか。
最近読んだ草間彌生の本で、彌生さまも何をどう残すかについて話していたのでデジャブ。
そして、ミルククラウンの写真のきれいさ。
ジーンと、おなじように心の中に、衝撃とともに広がっていく。
ランプ坂ギャラリー ギャラリーランプ3
〒160-0004 東京都新宿区四谷 4-20
で7/15までやってます(木曜休み)ので、どうぞ。(詳しくはHPを)
ギャラリーでの展示なので、それほど作品数は多くはないけど、あとに響く、頭を使う、考える内容です。
オープニングのパフォーマンス、ライブに行けなかったことが悔やまれる。
とくに七尾旅人さんのライブ…。
6日って国立競技場の日だったしね(自分は行った組ではないが)
ハスラー・アキラさんもパフォーマンス組の方だと勝手に思っていたので、作品がみれてよかった。
あと、この日に行ったのは
◎江戸の美男子(太田記念美術館)

ハラジュクの真ん中に浮世絵の美術館…!
海外のお客さんおおくて、驚く。
◎宮永愛子展(ミヅマアートギャラリー)
静かな、白い空間。
じっくりと時間の流れと対峙。
▲
by some55
| 2013-07-11 02:55
| ◎行った展覧会