2012年 04月 19日
おかお |
twitterで村上隆さんがトーマス・ルフのインタビューの記事に触れていたので。
トーマス・ルフのjpegシリーズのインタビューが和訳されています。
トーマス・ルフ「JPEGシリーズと過去の重要な作品について」
(芸術係数blogさんの記事です。)
jpegシリーズについては、ここが詳しいかな。
この中でルフが肖像写真について、鑑賞者の反応をのべてます
(以下引用)
しかし観客は写真を指差しながら、
「あー、このピーターはよく撮れてるね」とか、
「あ、ハインツだね」とか、
そういう反応ばかりしていました。
だから私は彼らに向かって、
「違うんだ、これはピーターでも
ハインツでも、ピアでもなくて、
彼らを写した写真なんだ」と
言わなければなりませんでした。
私は、観客が写真というメディアの
存在を意識することなく、
写された現実の対象を直接見ていると
感じていることを知ったのです。
(引用ここまで)
そう!この感覚!
自分が人物の絵を描く際に最も気にかける部分です。
絵でもこのように、対象となっている人物に対して
「○○に似ている~」とか
「自画像みたいですね」とか
言われることが多々あります。
しかしルフが述べているように、映された対象、そこにいる人物以上の何かを求めているのです。
(求めたいのです)
ルフの場合は、この記事を読む限りでは「作家性の放棄」や「最も客観的な写真」へと向かったと述べます。
自分の場合は絵画であることや、作家性の放棄に進もうとは思っていないですが(現時点では)、このルフの姿勢から得ることが多いね。
近いところ言えば、普遍的な人物の感覚を得たいと思っているところでしょうか?
(「普遍的な人物の感覚」とは書いてみたものの、実際にそれがどのような表現につながり、何を目指いしたいのかということは、自分の中でもまとまっていないのでうまく言えない…。
このことばの選び方があっているかも微妙…笑)
普遍的なことは、客観的なことと近いところにあるんじゃないかなあ、と個人的には思っているところです。
殴り書きmemo!!
トーマス・ルフのjpegシリーズのインタビューが和訳されています。
トーマス・ルフ「JPEGシリーズと過去の重要な作品について」
(芸術係数blogさんの記事です。)
jpegシリーズについては、ここが詳しいかな。
この中でルフが肖像写真について、鑑賞者の反応をのべてます
(以下引用)
しかし観客は写真を指差しながら、
「あー、このピーターはよく撮れてるね」とか、
「あ、ハインツだね」とか、
そういう反応ばかりしていました。
だから私は彼らに向かって、
「違うんだ、これはピーターでも
ハインツでも、ピアでもなくて、
彼らを写した写真なんだ」と
言わなければなりませんでした。
私は、観客が写真というメディアの
存在を意識することなく、
写された現実の対象を直接見ていると
感じていることを知ったのです。
(引用ここまで)
そう!この感覚!
自分が人物の絵を描く際に最も気にかける部分です。
絵でもこのように、対象となっている人物に対して
「○○に似ている~」とか
「自画像みたいですね」とか
言われることが多々あります。
しかしルフが述べているように、映された対象、そこにいる人物以上の何かを求めているのです。
(求めたいのです)
ルフの場合は、この記事を読む限りでは「作家性の放棄」や「最も客観的な写真」へと向かったと述べます。
自分の場合は絵画であることや、作家性の放棄に進もうとは思っていないですが(現時点では)、このルフの姿勢から得ることが多いね。
近いところ言えば、普遍的な人物の感覚を得たいと思っているところでしょうか?
(「普遍的な人物の感覚」とは書いてみたものの、実際にそれがどのような表現につながり、何を目指いしたいのかということは、自分の中でもまとまっていないのでうまく言えない…。
このことばの選び方があっているかも微妙…笑)
普遍的なことは、客観的なことと近いところにあるんじゃないかなあ、と個人的には思っているところです。
殴り書きmemo!!
by some55
| 2012-04-19 22:04